子どもたちと私たち職員で、ギューリックさんの温かいお気持ちに対して何か返せることがないだろうかと考え、シャロンちゃんをいただいたお礼に、日本人形を贈ることを決めました。
 人形を買うための資金は、絵本の売り上げ金と募金による。募金は7月末に市内で行われた「伊賀市国際交流フェスタ2010」(FM三重公開生放送)に参加した6年生が、メリーちゃんのことを紹介しながら絵本の販売を行い、また各家庭から持ち寄ったものを運動会でバザーとして販売し、集められました。
 折しもデニー・ギューリックさんから「迎える会の内容は本当にすばらしく私にとって特別のものだった。新しい人形をぜひまた河合小学校に贈りたい」といううれしいお話をいただきました。
 デニー・ギューリックさんから新しい人形シャロンちゃんが届けられました。パスポートや手作りの着替えをもってやってきたシャロンちゃんを「新しい人形を迎える会」で保護者や地域の方々とともに迎えました。
 2009年10月、職員で「絵本制作実行委員会」を立ち上げました。絵本の文は子どもたちの劇のシナリオをもとにしながら職員で考え、絵は伊賀市在住の田槇奈緒さんにお願いすることにし、2010年の春に完成しました。
 2009年8月、横浜開港100周年記念式典への出席のため来日されていたデニー・ギューリックさん(ギューリック三世)が、「この機会にぜひメリーちゃんに会いたい」と希望してくれたことから、思いがけず本校に来てくださることになりました。

 わたしの名前は、シャロン。
  
  わたしもアメリカからやってきました。
  今はメリーちゃんと二人で河合小学校からみなさんを見守っています。
 

 2009年8月、シドニー・ギューリックさんの孫のデニー・ギューリックさんがメリーちゃんに会いに、河合小学校に来てくれました。子どもたちや地域の人たちは、英語で歌を歌ったり、劇をうぃたるして歓迎しました。
 
 メリーちゃんが大事にされていることをとても喜んだデニー・ギューリックさんは、2010年3月、河合小学校に新しい人形シャロンちゃんを贈ってくれました。
  わたしの名前は、メリー。
  
  河合小学校にかざられている青い目の人形です。
  わたしはアメリカから船にのって日本へやってきました。


 大きな戦争が起きる少し前でした。日本とアメリカの仲がだんだん悪くなっていたころのことです。日本が大好きだったシドニー・ギューリックさんは二つの国が仲良くするために、アメリカ人形を日本に送ることを思いつきました。
 ギューリックさんの呼びかけで、アメリカの子どもたちはお小遣いを出し合って人形を買い、かわいい服を作って着せました。

 1926年12月、およそ1万2千体の青い目の人形が日本のひな祭りにまにあうように、アメリカの港から船に乗って、日本に向けて出発しました。

 1927年2月、およそ200体の青い目の人形が三重県にやってきました。
 河合小学校では、高学年の子どもたちがメリーちゃんを佐那具駅まで迎えに行きました。歓迎会が行われ、寝かせるとそっと目をとじ、起こすとぱっちりと目をあけ、「ママ−」と言うメリーちゃんにみんな大喜びでした。

 しかし、その後、日本とアメリカとの間でついに戦争が起こってしまいました。

 あんなに可愛がられていた青い目の人形たちは、敵国の人形だと言われ、焼かれたり、こわされたりしました。でも、人形に罪はないと、そっとかくされた人形もありました。

 1945年戦争は終わり、しだいにメリーちゃんのことは忘れられていきました。
 
 ところが―。
 1988年河合小学校3階の家庭科室の押し入れからメリーちゃんが発見されたのです。黒い布に丁寧に包まれ、大きな木の箱の中に入れられていました。見つかった時は靴だけをはき、服は着ていなかったので家庭科の先生がピンクのワンピースとフリル付きの帽子を作って着せました。 

 その後、子どもたちはメリーちゃんの心を受け継ごうと、人権集会で劇をしたり、新聞を作ったりして呼びかけています。
 
  

青い目の人形
メリーちゃんとシャロンちゃん






























































メリーちゃんのこころを受け継いで